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アレクサンドリアの聖チリロ総主教教会博士      記念日 2月 9日
  St. Cyrillus ab Alexandria Patriarcha Doctor Eccl.



 紀元313年、コンスタンチノ大帝がローマ帝国内にキリスト教信仰の自由許可してから、聖教のひろまりは目覚ましいものがあり、聖会は日に日に隆盛を加えたが、一方種々の異端を唱える者も出たので、これに対し真理擁護の為に力を尽くした宗教学者が幾人かあった。その中の一人がここに語る聖チリロ総主教である。

 チリロは北部アフリカの大都会のアレクサンドリアに生まれ、青年の頃から聖職者になる志を立てた。それでまず故郷の町で哲学と神学を修め、その後修養の為暫くエジプトの修道士等と共に生活し、更にエルサレムの司教ヨハネの許に行ってその教えを受けた。
 412年、アレクサンドリアの総主教テオフィロが没するや、チリロは選ばれてその後継者となった。そして、間もなくノヴァチアノ派の異端が起こると、これを撲滅するために弾圧を加え、その教会閉鎖を命じ、その為に教敵の怨みを招いても更に意としなかった。それほど聖教擁護に対する彼の熱意は強かったのである。

 彼が聖クリゾストモに対する態度もこれと同じ理由による。即ちまだテオフィロ総主教が存命中、チリロはそのお供をしてコンスタンチノープルに開かれた公会議に列席した事があったが、その席討論があってクリゾストモの説が異端であるとされた際に、かれもその裁決に加わったのである。そして後年クリゾストモが異端者ではないと聖会から認定され、死後聖人にあげられてからも、チリロの彼に対する疑念は久しく釈然たらず、自分の教会の聖人名簿にはその名を登録しなかった。これも彼の熱烈な護教の精神の現れに外ならない。しかしいよいよクリゾストモの異端者でないことを確かめると、チリロは長らく彼を疑っていた不義を悔やみ、機会あるごとにそれを償おうと及ぶ限り努力したのであった。
 かように真のキリスト教--カトリック教の真理を熱愛する彼は、異端や異教の迷妄を論破するために多くの書物を著し、しばしば説教した外、聖書の解釈にかけても一方の権威と仰がれているが、しかし聖会史上に彼の名を不朽ならしめた最大の功績は、何といってもネストリオの異端を防いだことであろう。
 ネストリオは429年コンスタンチノープルの総主教になった者であるが、間もなくキリストの神性と人性との一致について異説をたて、又聖マリアを天主の御母と言うことは出来ないと主張し、説教に著書に、その邪説を流布してやまなかった。
 信者達はこの異説に接してどれほど驚き迷った事であろう。チリロはこれを見過ごし難い一大事と思い、憤然起って同年の御復活祭の説教にネストリオの説を弁駁し、なおエジプトの修道士等にも書簡を送って警告する所があった。けれども相手が総主教の重職にあるを思い、その名は特に秘していたのである。
 その間ネストリオ自身に対しても彼は二回も書簡を送って謬説の取り消し方を勧告した。しかしその返書は悪意ある侮辱の言葉に満ちているばかりであった。
 やむなくチリロはその事をローマ教皇チェレスチノに報告した。教皇はネストリオの異端を破門すること及びそれに関する問題の解決を彼に一任する旨を書き送られた。これを聞いたネストリオは憤って皇帝に訴えたが、皇帝は調停の為司教会議を招集した、これが聖会史上名高い441年のエフェゾ公会議であって、チリロはこの席に教皇代理として臨んだのである。
 会議の結果は大多数の司教がネストリオの説の誤りなる事を認め、以後その異端にくみする者は破門する事に決し、また聖マリアは真の意義で天主の御母なることを議定した。
 けれどもネストリオは首府コンスタンチノープルの総主教として皇帝の信任厚きを奇貨とし、かえってチリロを讒訴したので、その言葉に迷わされた皇帝は二ヶ月ほどをもかれを獄に繋ぎ、さまざまに苦しめ、ようやく妹のブルゲリア姫の取りなしに依って彼を釈放したが、チリロは重なる労苦と胸中の悩みに心身共に弱り果て己が主教座なるアレクサンドリアに帰った。
 ネストリオ説は異端と決定宣言されてからも、それを奉ずる者はなかなか後を絶たなかった、チリロはそれらの迷える羊を連れ戻すべく、著書に、書簡に、説教に、あらん限りの力を尽くして彼らに呼びかけた。

 聖チリロが聖母マリアの神学博士と呼ばれるのは、勿論主にこのネストリオの異端に対する神学上の功労に由来しているのである。実際彼は聖母に関する信仰箇条を明らかに定める使命を、天主から受けていたと言うことが出来よう。
 かくて総主教の職に在ること32年間、444年に逝去した。チリロは教皇レオ13世に教会博士の称号を贈られなお聖会史上東ローマの4人の教父中に数えられる栄誉を担っている。


教訓

 聖チリロは聖会伝承の真理の光が、異端邪説の雲にくらまされる事を懼れて、どれほど護教に心血を注ぎ努力したか知れぬ。その惨憺たる苦心の程はむしろ一種の殉教と言いたい位である。事実それは彼を天国の高き光栄に導く偉大な功績となった。我等も自分のため、子孫のため、如何なる事があっても心を動かさず、唯一信仰を堅く守り通すべきである。何となればこの聖教の外に救霊の大道はあり得ぬからである。